閻 魔 詣
カウンター

閻魔(えんま)は仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主。
冥界の王として死者の生前の罪を裁く神。
日本の仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている。


これまでに観音霊場や七福神巡りでお詣りした閻魔様です。
閻 魔 詣

平成廿九年一月十六日
杉並新高円寺 華徳院 内藤新宿 太宗寺 深川 法乗院(深川閻魔)
秩父観音霊場

平成廿六年九月廿七日
廿五番札所 久昌寺
閻 魔 詣

平成廿五年一月十六日
雪の太宗寺

新宿山ノ手七福神

平成廿五年一月四日

内藤新宿 太宗寺
神仏霊場

平成廿四年一月十一日
六番霊場 道成寺
西國観音霊場

平成廿一年九月十五日
廿四番霊場 中山寺
坂東観音霊場

平成廿一年五月六日
丗二番霊場 清水寺
坂東観音霊場

平成廿一年五月五日
丗番霊場 高蔵寺 丗一番霊場 笠森寺

坂東観音霊場

平成廿一年五月四日
番外霊場 万願寺 廿七番霊場 圓福寺
西國観音霊場

平成廿一年四月廿九日
廿八番霊場 成相寺
坂東観音霊場

平成廿一年一月六日
廿番霊場 西明寺
坂東観音霊場

平成廿年十一月十六日
十四番霊場 弘明寺


名称閻魔大王双福

閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (यम, Yama) の音訳。

ヤマラージャ(यमराज, Yama-rāja、ラージャは王の意味)とも。
音訳は閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳は閻魔大王(えんまだいおう)。
略して閻羅王(えんらおう)、閻(えん)とも。

Yama(閻魔)は、縛、雙世、雙王、静息、遮止、平等などと和訳される。
“縛”は罪人を捕縛する意、“雙世”は彼が世中、常に苦楽の二つの報いを受ける意、“雙王”は兄妹一対で二人並びたる王の意、また“平等”は罪人を平等に裁くとの意からこれらの和訳がある。

各地の信仰

インドの「ヤマ」

本来はインド・イラン (Indo-Iranian) 共通時代にまで遡る古い神格で、『アヴェスター』の聖王イマ(中世・近世ペルシア語でジャム(「輝けるジャム」の意味でジャムシードとも呼ばれる))や北欧神話の巨人ユミルと同起源である。

『リグ・ヴェーダ』では、ヤマとその妹ヤミー (Yami) はヴィヴァスヴァットの子で、母はトヴァシュトリの娘サラニュー(英語版)とされた。
人間の祖ともされ、ヤマとヤミーの兄弟姉妹婚により最初の人類が生まれた。

ヤマは人間で最初の死者となり、死者が進む道を見いだした。
そして死者の国の王となった。
虚空のはるか奥に住むという。
インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。
そこは死者の楽園であり、長寿を全うした後にヤマのいる天界で祖先の霊と一体化することは、理想的な人生だと考えられていた。

しかし後代には、赤い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、それによって死者の霊魂を縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた。
ヤマの世界は地下だとされ、死者を裁き、生前に悪行をなした者を罰する恐るべき神と考えられるようになった。
骸骨の姿をした死の病魔トゥルダクや、神犬サラマーから生まれた四つ目で斑の二匹の犬サーラメーヤ (Sarameya) を従える。
ついには単なる死神としても描かれるようになった。
また、ヤマは時として“死”と同一視される向きもあった。

現在のインドでは、青い肌で水牛に乗った姿で描かれる(本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。

東アジアの「閻魔」

インドのヤマは、のちに仏教に取り入られて閻魔天となり、地獄の主と位置づけられるようになった。
ただし一説には、本来はヴェーダのYamaという同一尊から二途に分かれていったとも考えられている。

その二途とは
一つは、下界の暗黒世界、すなわち地獄界の王となった。
つまり本項の閻魔。

一つは、上界の光明世界、すなわち六欲天の第三天である夜摩天、あるいは焔摩天。

しかし、閻魔はYama(ヤマ)であるが、夜摩・焔摩はYaamaあるいはYaamaa(ヤーマ、ヤーマー)なので、本来は関係ないが混同されたと考える向きもある。


中国

中国に伝わると、道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王であるとされ、閻魔王、あるいは閻羅王として地獄の主とされるようになった。

やがて、晩唐代に撰述された偽経である『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった。
現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した。

また、中国的な発想では、冥界の主宰者である閻魔王や、十王であっても、常住の存在とは考えられていない。
それらの尊格も、生者が選ばれて任命され、任期が過ぎれば、新たな閻魔と交替するのが当然と考えられていた。

よって、唐代や明代に流布した説話にも、冥界に召喚されて、閻魔となった人間の話が見られる。
清廉潔白で国家を支えた優秀な官吏が、死後閻魔になったという説話も出来、北宋の政治家・包拯は閻魔大王になったと信じられていた。

日本

日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。

後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。
平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。
これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。
本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。

なお前述の通り、十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。
中国では焔摩天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている。

閻魔王の法廷には、浄玻璃鏡という特殊な鏡が装備されている。
この魔鏡はすべての亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場でスクリーンに上映する機能を持つ。
そのため、裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという。
司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している。
平安時代の公卿・小野篁には、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある。
戦国時代の武将・直江兼続にも、閻魔大王宛に死者の返還を求める手紙を書いたという逸話がある。

京都府大山崎町の宝積寺には、閻魔・司録・司命が居並ぶ地獄の法廷を再現した鎌倉時代の木像があり、重要文化財に指定されている。

大阪市浪速区には、閻魔を祀った西方寺閻魔堂(正式には「合邦辻閻魔堂西方寺」。
創建は伝・聖徳太子)があり、浄瑠璃の「摂州合邦辻」の舞台にもなっている。

1月16日・7月16日前後、奉公人は休暇を貰い故郷に帰る藪入りの日であった。
余暇を使いその日に閻魔堂に詣でたり、芝居などを楽しむ奉公人が多く、昔は1月16日・7月16日を「賽日・初閻魔」と呼んでいた。
関東から中部地方にかけては、7月1日には地獄も定休日として罪人を煮る釜のふたを開き、亡者を苛むのを休んだということから「釜蓋朔日」と呼び、この日から盆入りとする。

閻魔王はコンニャクが大好物であるという俗説もある。
東京・文京区の源覚寺にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像があるほか、各地の閻魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる。
                                                      (Wikipediaより)