三宮神山 大鷲院 勝專寺
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平成卅年一月十六日
東京 北の丸公園 最高気13.7℃ 最低気温1.4℃ 晴 最大瞬間風速5.6m/s SSE
巡礼・お遍路 閻魔詣


御朱印 散華 散華




勝專寺の概要

浄土宗寺院の勝專寺は、三宮神山大鷲院と号します。
勝專寺は新井兵部政勝が開基となり、勝専社専阿上人を開山として文応元年(1260)草創されたといいます。
勝専寺の木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされています。


勝専寺の縁起

勝専寺は新井兵部政勝が開基となり、勝専社専阿上人を開山として文応元年(1260)草創されたといいます。
江戸時代には日光社参に際して将軍の御旅所になっていたといいます。


足立区教育委員会掲示による勝専寺の縁起
「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする。
寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたという。
江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川家忠・家光・家綱の利用があった。
また日光門主等の本陣御用を勤めた記録も見られ、千住宿の拠点の一つであったことが知られる。
加えて当寺は、千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝えている。
木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされ、開基新井政勝の父正次が荒川から引き上げたという伝承を持つ。
ほかに1月と7月の15・16日の閻魔詣で知られる寛政元年(1789)の木像閻魔大王坐像、巻菱潭の筆による明治12年(1879)の扁額「三宮神山」を山門に掲げるほか、千住の商人高橋繁右衛門の冑付具足を伝来している。
いずれも足立区登録文化財となっている。
                                               (足立区教育委員会掲示より)


新編武蔵風土記稿による勝専寺の縁起
勝専寺
浄土宗、江戸駒込蓮光寺末、三宮神山大鷲院と號す、古は常行院といへり、文応元年草創の古刹にして、開基を新井兵部政勝と云、開山勝蓮社専阿寺傳に云、此僧は當國の住人甘粕太郎忠綱の三男にして、父忠綱建久年中日吉八王子の陣に討死せしにより、父の追福の為に出家し、源空上人の弟子となり、時に専阿十三歳なり、其後當寺を開きて弘安六年三月八日百五歳にして寂せりと云、按に浄土傳燈系譜に、辯阿上人の弟子に専阿といへる人あり、辯阿は源空上人の弟子なりといへば、此人源空にも従ひしと見えたり、ここに云所は此専阿なるにや、本尊弥陀安阿弥の作なり、傍に立像七寸五分の千手観音を置、開基兵部が父図書政次が、水底より得しと云もの是なりと云。
此政次は鎌倉頼朝に仕へ、建仁元年所領を捨て當所に蟄居せしと云傳ふ、按に図書政次嘉暦二年に水底より観音を得しといへば、建仁より嘉暦に至まで年を歴こと百二十年なれば、傳の誤あるべし、又其子孫は久しく當所にありて、寛文年中断絶せしとなり。

鐘楼。
安永年中の鐘をかく。

稲荷社。
辨天を合祀し、又社内に不動の像を安ず。

閻魔堂。

御殿跡。
本堂の南にあり、この地は昔新井政勝が住せし所なり、後遥の星霜をへて大猷院殿の御代に、御茶屋を設けられしを、慶安二年厳有院殿日光御社参の時、御殿を御造営ありて御旅館となりしが、折節荒川満水せしにより、三日まで御滞留あり、其頃は年々金百両米百俵を賜ひて修造の料に充られしが、延宝八年大風の為に御殿廃壊せしにより、御座所の跡のみ土をもり上て存せしが、それも近来は陸田となれり、又境内の構堀を御馬屋堀と云、其故は昔大猷院殿御経歴の時、堀にて御馬のすそをせしことありし故、かく呼べりとぞ、土人腰より下の煩ふるもの祈願すれば必験ありとて、近き頃其傍に馬頭観音の石像を建り。
                                                 (新編武蔵風土記稿より)


足立風土記史料による勝專寺の縁起
蓮光寺末 東京府管轄武蔵国足立郡千住宿三宮神山勝専寺
文応元年8月15日起立、開祖宗祖円光大師弟子専阿宗公、俗姓甘糟太良忠綱三男、23年住職、弘安6年3月8日105歳にて命終。
第29世看住職了眼壬申31歳。
額田県管轄三河国額田郡岡崎能見町農広瀬兼蔵三男、嘉永5年2月10日、同国賀茂郡牛野村心学院ニ於テ得度、安政6年10月15日、東京芝増上寺ヘ入寺修学、明治4年3月朔日看住職。
以上僧一人。
境内5反4畝14歩御年貢地。
檀家111軒。
                                                  (足立風土記史料より)


                                                                                                                                                 
蝋梅のいい香りがします。 東の空が明るくなってきました。 8時30分の気温が+0.8℃です。
8時41分バスがやってきました。 9時大宮駅東口に着きました。 工事中の階段を上がります。
中央改札(北)から入ります。 9時07分京浜東北線に乗りました。
9時44分西日暮里駅に着き、千代田線に乗り換えます。
以前は階段しかありませんでしたので上り下りの人で混雑して大変でした。
9時54分に北千住駅に着きました。 地図で確かめてから地上に出ました。
北千住駅は初めてです。
駅前を北に向かって歩いて行きます。
二つ目の信号を左に曲がります。
井口病院を通り過ぎます。
幟が見えて来ました。
卍閻魔大王の幟  一月 七月 十五日十六日
おえんまさま
閻魔大王御開帳
えんにち
         当山閻魔堂
 
浄土宗 勝專寺   お寺さんの境内にも露店が出ています。
馬頭観世音
馬頭観世音 六地蔵菩薩
       
 宗歌 月影 法然上人御詠

月影のいたらぬ里は
なけれども
ながむる人の
心にぞすむ


満月が空に昇りました。
月の光はどこもかしこも照らしています。
しかし家の中にいたり、外に出ていても空を見上げてみない人には月が出ている事すら分かりません。
一方、今宵は満月だと気付き、空を仰ぎ見た人には、心の中にまで美しい月の光が差し込み照らしてくれるのです。
阿弥陀様の救いのみ光も、誰にも平等に照らして下さっているが、そのありがたさに気付き、
心から南無阿弥陀仏と称える人にしかわからない。
気づいたときには阿弥陀様は私たちの心の中にいつもいてくださるようになる。


意味・・月の光が届かない里はないけれど、それを眺める人の心があってこそ、その美しさを感じる事が出来るのである。
闇夜を照らす月の光には差別は一切なく、あらゆる場所を平等に分け隔てなく照らす。
しかしどんなに月の光が照らしていても、月を眺めようとしない人に、月の素晴らしさは決して分らない。
    面白い本は手の届く所にいくらあつても、手に取って読まなければ面白さは分らない。

 注・・眺むる=じっと見つめて物思いにふける事。
    心にぞ住む=眺める人の心に澄みわたる。
同じ月でも見る心が無ければ美しさは分らない。

作者・・法然上人=ほうねんしょうにん。1133~1212。
     浄土宗の開祖。
門下に親鸞など名僧を輩出。

閻魔王

鐘楼は当初安永4年(1775)に建設され千住地区の時の鐘として役立っていましたが、
明治に入って破損し、明治24年(1891)再建したと基壇に埋め込まれている。
「鐘楼建築記念碑」に刻まれています。
ちなみに撰文は朝鮮の革命家で当時日本に亡命していた金玉均で揮毫は中根半嶺です。
この時の鐘は昭和20年(1945)戦時中の金属供出で失われたため長く鐘楼だけになっていましたが、
昭和34年(1959)檀家及び地元有志の募金で再鋳されました。
この寺院は当家の菩提寺なので当家及び一族の家も協力しその協力者名は鐘楼の欄干に刻まれました。
現在は建物の高層化によって遠くまでは響きませんが、朝晩と除夜の鐘を撞き地域の人々に親しまれています


紋章は法然上人の抱き茗荷紋と将軍家葵紋を二つ並べた連紋を用いています。
庫裏に入り、御朱印を戴きました。その際散華も戴きました。今日は16日ですが、暦は14日になっていました。
吉を占う楽しい夜初夢のおかげです。
炭火焼 鮎の塩焼  蓮の鉢 六地蔵

三宮神山大鷲院勝専寺

「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする。
寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたという。
江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川家忠・家光・家綱の利用があった。
また日光門主等の本陣御用を勤めた記録も見られ、千住宿の拠点の一つであったことが知られる。
加えて当寺は、千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝えている。
木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされ、開基新井政勝の父正次が荒川から引き上げたという伝承を持つ。
ほかに一月と七月の十五・十六日の閻魔詣で知られる寛政元年(1789)の木像閻魔大王坐像、
巻菱潭の筆による明治十二年(1879)の扁額「三宮神山」を山門に掲げるほか、
千住の商人高橋繁右衛門の冑付具足を伝来している。
いずれも足立区登録文化財となっている。
平成十三年十月
                                               足立区教育委員会

10時19分 山門から勝專寺を発ちました。
露店が並んでいます参道を通りぬけ
千住ほんちょう商店街から北千住駅に出ました。
東京メトロ千代田線で北千住駅から西日暮里駅に行き、京浜東北線に乗り換えます。
しホームに何か印が付いています。ホームドアの設置かもしれません。 10時50分電車が入って来ました。