関東三十六不動霊場
関東三十六不動霊場
第十三番 大聖山 東朝院 南谷寺
目赤不動尊

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平成廿三年七月廿四日


24日 東京大手町    最高気温  30.3℃   最低気温   22.7℃ 曇り時々晴

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大聖山 東朝院 南谷寺

目赤不動尊

伊醯羅(いけいら)童子

天台宗

御詠歌

聖堂の

夢から醒めるや

赤目より

まばゆき不動の

五色曳きたり

御朱印 御影 伊醯羅(いけいら)童子


南谷寺の縁起
南谷寺は、比叡山南谷の万行律師(寛永18年寂)が開山となり、
元和2年(1616)創建したといいます。

「本郷區史」による南谷寺の縁起
駒込片町に在り、延暦寺末、大聖山東朝院と號す。
元和中比叡山南谷の萬行律師(寛永十八年寂)の開く處である。
境内不動堂に安置の不動を目赤不動と稱する。
もと動坂不動坂の邊に在つたが寛永の頃将軍鷹野の途次此を過つて堂地を賜ひ、
目黒目白に對し目赤と呼ばしめたと云ふ(江戸砂子)。
                                            (「本郷區史」より)


東京名所図会による南谷寺の縁起
南谷寺目赤不動堂
南谷寺は駒込片町三十七番地にあり、大聖山東朝院と稱す。
天台宗京都延暦寺末なり。
僧満行(寛永十八年寂)開基す。
元和中伊賀國より来る。
初め駒込動坂にありしを、寛永の頃今の地に移るといふ。
近年境内を修理し、堂宇を改築せり。

目赤不動堂。
境内に不動堂あり、目黒目白に對して目赤不動と呼ぶ。
江戸砂子(三)に云。
當寺本尊は伊州赤目山第二世萬行和尚回國の時、いづくの誰ともしらず来て、
尊像をさづけたり、其後當國駒込村の動坂に草庵をむすびて不動尊を造立。
かのさづかりし像を胸中におさめて赤目不動と號す。
しかるに寛永の頃御鷹野の節、御成ありて、堂地を今の所に下したまひ、
赤目といふを目黒目白に對して目赤とよぶべしとの鈞命ありて目赤といふなり。
堂内左に松尾尊といへるが勧請あり。
又コロボックル時代に於ける古器物の破片を額とす。

石地蔵。
大小五軀あり、いづれも雨露の浸潤腐食する所となり、尊容剥落、文字磨滅して、
年代詳らかならず、内一軀稍新しく、安永五丙申歳九月吉日と讀まる。
傍に寛延年號の石不動一座安置。

稲荷堂。
不動堂の左、石地蔵の右にあり、もと八丁堀穀豊稲荷の旅所なり。
謝卯君碑。

門内右に建てり、當山の玄關に接し、石の玉垣庭を設け、左右に石燈籠を置く。
銘に曰く、萬戸蒙嘉惠仙人兎公靈魂長可仰宛在廣寒宮
枕山大沼厚題 兎城蘆澤重道書
                                          (東京名所図会より)


文京区史跡さんぽによる南谷寺の縁起
万行和尚が元和年間(1615-1624)に駒込動坂に庵を設け不動明王像を安置した。
これが南谷寺の創建であり、この不動を赤目不動と呼んだ。
寛永年間(1624-1644)三代将軍家光が鷹狩りの途中、動坂のこの庵に立ち寄り、この赤目不動を、目黒・目白不動と同じように”目赤不動”と呼ぶように伝え、寺領を現在地に寄進した。
そこで、寺を動坂からここに移転し、駒込目赤不動と称するようになった。
                                       (文京区史跡さんぽより)


(江戸五色不動)目赤不動尊縁起
当山に安置し奉る江戸五色不動の一つ目赤不動尊の由来を申し上げます。
元和年間(1615年頃)比叡山南谷に万行律師(南谷寺初代住職)という持戒智徳の名僧がおり、常に不動尊を尊信し、昼夜不退に不動真言を称えており、或る夜聖童夢枕に来たって告げたまう。
万行多年不動尊を尊信する事深切なり、伊賀の国の赤目山来たれ不動明王の霊験あらんと告げ終り、金光を放って飛び去る夢を見て夢さめたり。
信心を肝に銘じ、お告げに従い速やかに比叡山を発ち、伊賀の国赤目山に登り絶頂の磐石に端座する事三日三夜、口に不動真言を称え手に秘印結び、心寂然として明王の来迎を待ち奉る。
不思議なるか虚空に御声もろとも投げ入れ給う物あり。
手を開き見れば是すなわち黄金一寸二分の不動明王の尊像にて、有難くも尊くて歓喜の泪にむせび礼拝恭敬し法楽して後赤目山をくだり比叡山南谷の庵室に安置す。
暫くして後、衆生済度の志願を起こし、感得の尊像を護持して関東に向かい下駒込(現在の動坂)なる有縁の地に堂を建て尊像を安置し万民化益を祈念し参詣の諸人祈願を訴え、應験を祈るに奇瑞蒙る事の少なからず。
自ずから不動坂と称えて群参す。
茲に、寛永5年恐れ多くも、将軍家光公鷹狩りの途中、お徳をお尋ねになり由来を言上したところ府内五不動の因縁を以って赤目を目赤と称える様にとの上意があり。
後に浅嘉町藤堂家屋敷跡を拝領し、同年寺院建立に及ぶ故有って智證大師の御作不動明王の霊験を受得せられ、御前立に安置し黄金の本尊は後の厨子に秘仏安置奉り天台宗羽黒の支流に属し万行住職ありて大聖山東朝院と名づける。
両尊像を守り奉りしに寛永18年3月26日権大僧都当院に寂す。
以後年を越え月日を重ねて利益日々著しく参拝の諸人絶える事なし。
                                            (境内掲示より)



『江戸切絵図』に見る 南谷寺(目赤不動)

          
6時半過ぎ家を出ました。上空には下弦の月が輝いていました。
6時55分のバスで大宮駅に向かいました。 8月2日大宮中山道まつりが行われます。 7時06分です。
7時07分 京浜東北線の電車に乗りました。
7時38分 王子駅に着きました。
7時44分地下鉄南北線の電車に乗り
8時01分本駒込駅で降りました。
東京消防庁本郷消防署 駒込出張所                本郷通り
   江戸三大青物市場遺跡  史蹟文化財 駒込土物店跡  
本郷通りの横断歩道を渡ります。


江戸時代、神田、千住と並び三大青果市場といわれた。
起源は元和年間(1615~1624)といわれる。
当初は近隣の農民が野菜を担いで江戸に出る途中、
この地で休むのが毎朝の例となり、付近の住民が新鮮な野菜を求めたのが起こり。
また、近くの富士神社の裏手は駒込ナスの生産地として有名であり、
大根、にんじん、ごぼうなどの土のついたままの野菜(土物)が取り引きされた。

ここは江戸時代、神田、千住と並んだ三大市場の一つで、
幕府の御用市場でもあったそうです。
期限は、元和年間(1615-24)といわれ、
初めは、近郊の農民が、野菜をかついで江戸に出る途中、
天栄寺境内の「さいかちの木」の下で毎朝休むことから、
付近の人々が新鮮な野菜を求めて集まったのが始まりだそうです。

              (文京区観光案内より)

千日紅 目赤不動尊 大聖山 南谷寺
 
旧 駒込片町

           (昭和41年までの町名)
 むかし、駒込村の内であった。後、麟祥院
(春日局の菩提寺)領の農地となった。
 元文2年(1737)町屋を開き、岩槻街道
(将軍日光御成道)をはさんで吉祥寺の西側の
片側町であったので駒込片町と称した。
 明治5年までに、駒込浅嘉町の一部と、南
谷寺や養昌寺などの寺地を合併した。
同24年元下駒込村の内神明原の内を併せた。
南谷寺の目赤不動は、もと動坂にあったが、
寛永の頃(1624~44)三代将軍徳川家光が鷹
狩の途中立寄り、目黒・目白に対して目赤不
動と命名し、寺を現在地に移した。養昌寺に、
樋口一葉の思慕の人半井桃水の墓がある。


           江戸五色不動の一つ 
目赤不動尊
       この不動尊は、もとは赤目不動尊と言われていた。元和年間(1615~24)
      万行和尚が、伊賀国(いまの三重県)の赤目山で、黄金造りの小さな不動明
      王像を授けられ、諸国をめぐり、いまの動坂の地に庵を結んだ。
       寛永年間(16124~44)、鷹狩りの途中、動坂の赤目不動尊に立ち寄った三
      代将軍家光から、現在の土地を賜わり、目赤不動尊とせよとの命を受け、こ
      の地に移った。それから目赤不動尊として、いっそう庶民の信仰を集めた
      と伝えられている。
       不動明王は、本来インドの神で、大日如来の命を受けて悪をこらしめる
      使者である。剣を持ち、怒りに燃えた形相ながら、お不動さんの名で庶民
      に親しまれてきた。江戸時代から、目赤、目白、目黄、目青、目黒不動尊
      は五色不動として、その名が知られている。
      目白不動尊は、戦災で豊島区に移るまで区内の関口二丁目にあった。
              天台宗 南谷寺 文京区本駒込1-20-20
                        
文京区教育委員会  平成3年3月

天台宗  南谷寺

     つもりちがい十条

          家庭生活と佛道  十六

    一、高いつもりで低いのは   教養
    二、低いつもりで高いのが   気位
    三、深いつもりであさいのは  知識
    四、あさいつもりで深いのが 欲の皮
    五、厚いつもりでうすいのは  人情
    六、うすいつもりで厚いのが 面の皮
    七、強いつもりで弱いのは   根性
    八、弱いつもりで強いのが   我
    九、多いつもりで少ないのは 分別
    十、少ないつもりで多いのが 無駄



長寿十訓

家庭生活と佛道

少肉多菜 少車多歩
少塩多酢 少煩多眠
少糖多果 少念多笑
少食多粗 少言多謡
少衣多浴 少欲多興

長寿の秘訣は貪瞋痴の
三毒を去り唯足るを
知ることにあり

江戸切絵図 六地蔵 大日如来像
目赤不動尊 不動堂
扁額「目赤不動尊」 奉納板番付とでも言うのでしょうか。
奉納板番付にあります
目赤不動尊と
伊醯羅童子

(天空仙人の神社仏閣めぐりより)
目赤不動尊 伊醯羅童子

目赤不動尊       目は赤くはないですね。

誤解されやすいのですが、お不動様の目が赤いわけではありません。
徳川家光が目黒・目白に続き目赤と呼ぶようにと号令1発 (進ぬナマケモノより)


不動堂で拝観したお不動様はお前立です。

このお前立の像の中(胎内)に黄金不動明王像は納められているとのことです
黄金のご本尊の御開帳は、酉年でも4回のみ、元旦、1月28日、5月28日、9月28日です。


 
今年は12年に一度の秘仏御開帳の年です。 酉年の毎月28日にありがたい一寸二分のお不動様が拝めるので、この行列です。
                             (進ぬナマケモノより)

 
この小さいのがご本尊です。
住職さんに許可をいただいて撮りましたが、

(住職さん、ホントはダメなんだけれど皆、撮っちゃってるからいいですよ~ですって)
                        バチ当たりな感じがして、接写できませんでした。         (進ぬナマケモノより)


百度石

目赤不動尊
        
        江戸五色不動
赤 天台宗 南谷寺 文京区本駒込1-20-20
黒 天台宗 瀧泉寺 目黒区下目黒3-20-26
青 天台宗 教学院 世田谷区太子堂4-15-1
黄 天台宗 永久寺 台東区三ノ輪2-14-15
黄 天台宗 最勝寺 江戸川区平井1-25-32
白 真言宗 金乘院 豊島区高田2-12-39

瓦の文字は読めません。 扁額「大聖山」 御本尊
本尊は阿弥陀如来
周りでは四天王が阿弥陀様を護っています。
         矜と宝珠を持っています。さて、何という佛様でしょうか。
鬼瓦には桐の御紋がああります。 本堂 鬼瓦
関東三十六不動霊場
納  経  所
鬼瓦 8時57分 南谷寺 目赤不動を発ちました。
本郷通りに戻りました。 東京メトロ駒込駅 駒込駅から大塚駅に向かいます。