関東三十六不動霊場
関東三十六不動霊場
第廿三番霊場 砂尾山 橋場不動院
橋場不動尊

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平成廿三年八月四日

4日 東京大手町    最高気温  31.1℃   最低気温   24.3℃ 晴れ時々曇り

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砂尾山 不動院

橋場不動尊

佛守護童子

天台宗

御詠歌

念仏や

弘誓の船に

身を任せ

上る橋場に

紫のくも
御朱印 御影 佛守護(ぶつしゅご)童子


不動院の縁起
不動院は、天平宝字4年(760)に法相宗寺院として創建、寂法相宗昇和尚が宝亀4年(774)に当寺住職となり開山したといいます。
寛元年間(1243-1246)に砂尾長者が開基となり、天台宗に改めたといいます。


御府内寺社備考による不動院の縁起
浅草寺末 
砂尾山橋場寺不動院 境内除地255坪、年貢地976坪、門前町家有之。
天平宝字4年起立之由。
古者法相宗ニ御座候。
開山寂昇和尚。
宝亀4年当寺ヘ住職。
寂年不相知。
中興教円坊。
長寛元年3月中天台宗ニ改候、此時浅草寺末ト相成申候。
開基砂尾長者ト申伝卒年等相知不申候。
                          (御府内寺社備考より)


不動院歴史へのいざない(橋場寺不動院 歴史・由来・教義より)

橋場不動尊の名で親しまれる当寺は、正確には砂尾山橋場寺不動院といい、天平宝字四年(760)寂昇上人によって開創されました。
当初は法相宗でしたが、長寛元年(1163)に、中興の祖といわれる教円坊(一説には長円)によって、天台宗に改宗され、浅草寺の末寺となったと『文政寺社書上』に記されていますが、現在は浅草寺と本末関係はなく、比叡山延暦寺の末寺となっています。

現在の本堂は弘化二年(1845)の建立で、その古色をおびたたたずまいは、うるおいにみちています。
本尊の不動明王像は、『江戸名所図会』に「縁起に曰く、本尊不動明王は、良弁僧都相州大山寺にありし頃、彫刻ありし三体の一にして、かの寺の本尊と同木同作なり。
僧都一時上足寂昇師に告げて云く、三体のうち一体はこの山にとどめ、一体はみずから持念す。
残るところの一体は、汝に附属すべしとなり。
よって僧都化寂(宝亀四年齢八十二にして寂)の後、寂昇上人上総の方へ赴く道のついでたまたまこの地に至り、霊告を得て有縁の地たることをしり、ここに安じ、則ち村老野人にかたらひて草堂を営み、砂尾不動と号す云々。」とあり、良弁僧都の御作であることがわかりますが、このご本尊は秘仏となっており拝観することができません。
しかし、お前立のご本尊としての不動明王があり、その偉容は周囲を圧しています。
だれの作かはわかりませんが、おそらく鎌倉期のものと推察されます。


寂昇上人が、浅芽の生い茂るこの地に当寺を開創したのは、1250余年も昔のことで、奈良時代末期のことですから、文字通り橋場随一の古刹といえましょう。

「砂尾長者と不動院」
『南向茶話』『新編武蔵風土記稿』『続御府内備考』等に、当寺の開基として砂尾修理太夫の名が見られ、『再校江戸砂子』には「当寺は砂尾修理太夫建立なりと云。修理太夫太田道灌と此辺にて合戦ありしを砂尾石浜の戦といふ」と記されています。また『東京府村誌』に「伝フル所区々ニシテ、所謂砂尾修理ノ何レノ時代ナルヤヲ知ラズ。千葉系図千葉親胤、弘治三年(1557)丁巳八月七日、年五十七ヲ以テ其臣下ノ殺スル所ト為リ、家臣砂尾修理領地武州橋場ノ古寺ニ於テ廟ヲ立テ、法事ヲ為スト伝フル」とあり『小田原北条分限帳』にもその名をみることができます。しかし、いつの世にも異説をとなえる人はいるもので、『江戸記聞』には「今按に、砂尾修理太夫がこと、いかなる書に出るや所見なし。又砂尾石浜の合戦といへるも未聞事也。疑べし。」と書かれています。

砂尾修理太夫が、砂尾長者の子孫であろうと推察することはできますが、確たるものは全くなく、あらたな資料の発見が待たれてなりません。


「玉姫稲荷と不動院」

『江戸砂子』によると、玉姫稲荷は「はしは田の中にあり。」とあり、『東都歳事記』に「山谷玉姫稲荷祭。
産子の場所神輿。獅子頭を渡す。
境内わずかなれども。田園の眺望ありて佳景の地なり。」と記されております。
歴史も当寺に劣らず天平宝字年間(757〜64)に鎮座したと伝えられ、社地は砂尾長者の園内にあったといわれ、神仏分離以前は当寺が別当を兼ねていました。

玉姫の名は、砂尾長者の娘・玉姫が失恋して、当院西側の池に身をなげ、これを悲しみ祀ったことから名づけられたと伝えられています。
この池の名ごりが当院の境内に残っています。
その後、玉姫神社は再三火災にあい、そのたびに御神体は、別当である当院に運ばれました。
住みなれた砂尾屋敷から離れられなかったのでしょう。
江戸時代、隅田川には寺島の渡しと橋場の渡しがありました。
橋場とは、昔、太田道灌が下総の千葉氏を攻めるため、そこへ橋をかけたことから名付けられました。       (「道灌公為攻下総千葉。構長橋三條。其所号橋場」『梅花無盡蔵』二の巻)

鎌倉時代、法眼円伊の描いた絵巻物『一遍上人絵伝』(五の巻)に、左右に欄干のついた板橋が描かれていますが、江戸時代には、幕府の戦略の上からこの橋はとりこわされ、いわゆる渡しが往き来していました。


14時42分雷門に着きました。 人力車乗降場所 値段が書かれてます。
~谷バー 前を通る度に寄ってみたいと思うのですが、先を急いでいて寄ったことがありません。次回寄ってみたいものです。
~谷バー 浅草1丁目1番1号 都バスは飛ばすと言ってた人がいましたが。 浅草警察署 東浅草交番
砂尾山 不動院の参道に来ました。
橋場不動尊 扁額「橋場ふ動」
内陣が暗いので明るくして撮しました。
御本尊様は秘仏です。(橋場不動院HPより)
百度石 御授地蔵尊
提灯 橋場不動尊
関東三十六不動霊場 納経所 本堂 宝珠
布袋の大銀杏
天台宗 不動院 15時30分 一礼して不動院を発ちました。 浅草雷門行きの都バス
橋場二丁目アパート前 都バスの行き先 ここが橋場二丁目アパートでしょうか。
先には雷門が見えます。 南千住車庫行き 東京スカイツリー
江戸通り6     463浅草通り 東京スカイツリーはどこからでも見えますね。 人力車 行き先を・・・
16時10分 「駒形どぜう」に着きました。 待っている人はいないようです。
江戸文化道場 16時16分 注文したどぜう鍋が出てきました。
鍋の上にたっぷりとネギとゴボウをのせていただきます。 山椒と七味
飲み物は、ロックでカストリです。 ネギが入っている箱で、
ネギがなくなると追加できます。
どぜう どぜう汁  どぜうの泥を吐かせる樽のようです。
17時20分 駒形どぜうを出ました。 東京スカイツリー 浅草通り 463
東京スカイツリー 金龍山 雷門 仲見世
がんばれ東北
がんばろう
日本
仲見世商店街も応援します
仲見世 浅草名所七福神
宝蔵門 仲見世を戻ります。
東京スカイツリー 東京メトロ 浅草
17:46 渋谷 17:52 東京メトロ 上野 17:59 JR 上野
高崎線 普通 15両 18:18 籠原 18:01 ゆっくり間に合いますね。 18:45 大宮駅に着きました。
電車は結構混んでいました。 18:56バスに乗って帰りました。 19:11月が西の空に傾いていました。