第五期 平成廿四年八月廿五日〜八月廿七日
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京都 楽土の道 第90番 
弘法大師霊場遺迹本山  
高雄山 神護国祚真言寺  
こうぼうだいしれいじょう ゆいせきほんざん  たかおさん じんごこくそしんごんじ



遺迹本山
高雄山 神護国祚真言寺


御本尊
薬師如来


御朱印
 平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(781)、国家安泰を祈願し河内に神願寺を、
またほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立しています。
 神願寺が実際どこにあったのか、確かな資料が残っていないため、いまだ確認されていませんが、その発願は和気清麻呂がかねて
宇佐八幡大紳の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て,万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け,
その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来しております。
 また、私寺として建てられた高雄山寺は、海抜900メートル以上の愛宕五寺の一つといわれているところからすれば、単なる和気氏の
菩提寺というよりは、それまでの奈良の都市仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考えられます。
 愛宕五寺または愛宕五坊と呼ばれる寺は、白雲寺、月輪寺、日輪寺、伝法寺、高雄山寺ですが、残念ながら現在にその名をとどめて
いるのは高雄山寺改め神護寺と月輪寺のみである。
 その後、清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、和気氏の菩提寺としての性格を強めることになりますが、
清麻呂の子息(弘世、真綱、仲世)は亡父の遺志を継ぎ、最澄、空海を相次いで高雄山寺に招き仏教界に新風を吹き込んでいます。
 弘世、真綱の兄弟は、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄に、高雄山寺での法華経の講演を依頼しています。
 この平安仏教の第一声ともいうべき講演が終わると、最澄は還学生として唐にわたることとなる。
 また、空海は留学生として最澄とともに入唐しますが、二年で帰国、三年後にようやく京都に入ることが許されるや高雄山寺に招かれ、
以後数年にわたる親交が続けられ、天台と真言の交流へと進展していきます。
 やがて天長元年(824)真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に
付嘱し、それ以後真言宗として今日に伝えております。
 神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築きましたが、正暦五年(994)と久安五年(1149)の二度の火災に遭い,
鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となりました。
 わずかに本尊薬師如来を風雨にさらしながら残すのみでありました惨状を見た文覚は、生涯の悲願として神護寺再興を決意しますが、
その達成への道はとても厳しいものがありました。
 上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれた神護寺は、元以上の規模に復興されました。
 世は南北朝に分かれての戦乱となり、当寺も天文年中(1532〜55)には、兵火によって建物のすべてを焼失しました。
 慶長五年(1600)には「一山三衣にも事欠く有様なれば、願わくは寺領境内地先規の如く返附せられ度云々」と、その窮状を陳情し、
それに対し翌年七月、徳川家康より旧来の寺領千五百町歩が返還されました。
 更に、元和元年(1615)に讃岐屋島寺の龍厳上人が入山し、上人に帰依する京都所司代板倉勝重が奉行となって再興に着手しました。
江戸時代中期には堂宇七、支院九、僧坊十五を数えるまでに再興されました。
 ところが、明治維新後の廃仏毀釈によって愛宕山白雲寺は消滅、当寺も開創以来維持されてきた寺域はことごとく分割のうえ解体され、
支院九と十五坊はたちまち焼失、別院二ヶ寺と末寺のすべては他寺に移されました。
 昭和十年(1935)、現在の金堂、多宝塔ほかが山口玄洞居士の寄進により再興され、旧堂も修復されました。
昭和二十七年(1952)、寺領の一部を境内地として政府より返還され今日に至っております。


朝4時過ぎに家を出ると、明けの明星が東の空に出ていました。
大宮駅に着きホームに下りると電車のドアは閉じてましたが、4時40分には開きました。
5時37分東京駅に着きました。
ホームからコンコースに下りると人だかりが激しいので見ますと駅弁を販売している新しいお店でした。右は今までの駅弁屋さんです。
6時16分発のぞみ3号の新幹線に乗ります。
駅舎の向こうには積雲が出てました。これなら富士さんが見えると確信しました。発車する前に忘れずBEERとつまみを買いました。
久しぶりに富士山を見ることができました。嬉しかったですね。何年ぶりでしょうか。やっぱり日本人は富士山を見ないことにはね。
京都駅に予定通り8時29分着きました。
烏丸口に出て京都タワーを見てバス乗り場で並びました。
京都には何種類ものバスが運行しているので確かめないと間違えて乗ってしまいます。
京都バス、京都市バス、京阪バス、阪急バス、それに今回乗りますJRバスがあります。
途中に立命館大学がありますので学生さんで相当混んでました。9時48分神護寺入口の山城高雄バス停で降りました。
何人かの人も降り、先を歩いてお寺さんに向かってました。
高雄橋が見えてきました。  橋の手前には山内女人禁制の石柱が建ってました。
高雄橋の下には清滝川が流れてました。
石段の参道入り口から見上げると、石段はどこまでも続いているように見えました。
9時57分石段を上がり始めました。この一段が結構きついのです。
石段を上りきると茶店がありましたが、営業はしてないようでした。
お地蔵さんが出迎えてました。可愛いタケニグサを見つけました。
10時5分 硯石亭は営業してようなので帰りに寄ろうと思いました。もみじ餅美味しそうですね。
硯石
空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅額の依頼を受けられたが、急な五月雨で橋が流されたため、
この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ見事に「金剛定寺」の四文字を書かれたという。
但しこの寺は現存していない。
急な石段の先には楼門が見えてきました。確か以前お参りした時には左側のコンクリートはなかったと思いました。
10時09分 ようやっと楼門まで辿り着きました。 弘法大師霊場  遺迹本山 高雄山 神護寺
時間はあまりかかりませんでしたが、結構体にはきつかったです。 
仁王様はいらっしゃいませんでした。
増長天像 神護國祚真言寺 持国天像
楼門から一歩入ると広い境内が広がってました。訪れる人があまりおりませんでした。
境内の右の方には書院の前には重層な門がありました。 このもみじは秋には見事な色になっているでしょうね。 
和氣公霊廟 和氣清麻呂
霊廟の脇には明王堂がありました。この建物の名前が前回の時には分かりませんでした。
斜め前には五大堂と毘沙門堂がありました。
五大堂は、入母屋造 銅板葺で、
五大明王像(不動・降三世(こうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)を安置しています。
元和9年(1623)年再建で元は講堂でした。
毘沙門堂は、入母屋造 銅板葺で、毘沙門天立像(重要文化財)を安置しています。
 元和9年(1623)年に再建で、元は金堂でした。
 
毘沙門堂
五大堂と毘沙門堂の先には大師堂がありました。
どこのお堂も扉が閉ざされていて仏様が拝めないのが残念でした。
この高い石段を上がると金堂です。
金堂は一段と高い位置に構えて全山を見下ろしています。
説明書きの文字が薄くて読めませんでした。
金堂の中に入る前に外側の建物の造りを見ました。
五大堂の方を眼下に見ることができます。 十二神将の真ん中に薬師如来立像がいらっしゃいます。
右の方に伝源頼朝像がありました。金堂内で御朱印をいただきました。
金堂から見て右下に進みました。左地蔵院近道とありました。
坂道を下ると閼伽井がありました。弘仁○年 弘法大師によって灌頂伝授のために掘られた○○○
近くの池には大きなオタマジャクシがたくさん泳いでました。そこに赤とんぼが留まってました。
よく見るとイモリが悠々と泳いでました。
小高い丘に上がるとなにやら人が集まってました。
谷底を目指して何か投げてました。
厄落としのかわらけ投げをしていました。かわらけ投げは神護寺が発祥の地とのことでした。
2枚で百円でしたので投げてみました。一枚目はすぐそばに落ちてしまいましたが、2枚目は遠くまで飛びました。
かわらけ投げの右に進むと地蔵院がありましたが、扉は固く閉ざされてました。
金堂に戻り、今度は右の多宝塔の方へ上がりました。
途中の小さな祠を過ぎると多宝塔に着きました。
多宝塔の前には神護寺の沿革が書かれてました。     
多宝塔の全容を捉える処がなかなか見つからず苦労しました。
金堂の右奥の方には不動明王が厳つい顔をして立ってました。
その右を進むと鐘楼がありました。
日本三名鐘の一つです。
貞観17年(875年)に鋳造されたもので、国宝に指定されています。
日本三名鐘の一つとして、「銘の神護寺」と呼ばれています。
詞書を橘広相、八韻の銘一首を菅原是善、藤原敏行が文字を揮毛したことに由来します。
当時の三絶によって銘が刻まれたことから、
「三絶の鐘」とも呼ばれています。
鐘楼からの石段は急なので右に緩やかな土の坂道がありましたのでそこから下りました。
境内を通り楼門まで来ました。
形有り  識(こころ)あるものは 必ず仏性を 具す   性霊集より
上ってきた石段を下りました。
あまりにも暑かったので硯石亭で宇治金時をいただきました。
もみじ餅もいただきましたが、あまりにも美味しかったので撮るのを忘れてしまいました。
体が涼しくなったところでまた歩き始めました。
下りてから神護寺まで約10分の表示を見ました。
清滝川に沿って次の西明寺を目指しました。空は真っ青に晴れ暑さは益々増してきました。