第七期 平成廿五年一月廿日〜一月廿三日
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京都 楽土の道 第98番
岳松山 大聖寺門跡 
がくしょうざん      だいしょうじもんぜき

臨済宗相国寺派 尼五山

御寺御所

御本尊 釈迦如来

御朱印
縁起
 南北朝時代1368年北朝初代光厳天皇(1313〜1364)の法事が天龍寺で執り行われた後、室町幕府三代将軍足利義満は、天皇妃で出家した無相定円禅尼(むそうじゅそうぜんに)を室町御所岡松殿(岳松山岡松殿)に迎え、安禅所としたことに始まる。(「平安通志」)
 1382年禅尼没後、その遺言に従い殿を尼寺とする。法名「大聖寺殿無相定円禅定尼」に因み大聖寺とした。 
七日の斎会が行われたという。(普明國師語録) 禅尼の姪・悟心尼が開山になり景愛寺に属した。
悟心尼は景愛寺住持も兼務する。
 北朝第五代後円融天皇(在位1371〜1382)の皇女理栄宮の入寺以来、御寺御所といわれたという。
 北朝第六代、歴代第百代後小松天皇(在位1382〜1412)の皇女入寺以来、皇女が入寺する。
 室町時代、長谷(ながたに、左京区岩倉)に移転し、北山大聖寺と称したという。(『薩戒記』1430の条)
 1479年毘沙門町(上京区毘沙門町)へ移転する。なお、現在地(上京区御所八幡町)にはこの間聖護院が建てられた。 
 第104代後柏原天皇(在位1500〜1526)皇女が入寺し、以後、第一皇女が入ることが多くなる。 
 1525年、大聖寺立柱となる。(『実隆公記』)
 第106代正親町天皇(在位1557〜1586)皇女の入寺以来、尼門跡第一位の綸旨(りんじ、蔵人が天皇の意を受けて発する
文書)を贈られたという。以後、寺社奉行と連携した特定寺院の尼衆触頭(ふれがしら)になる。
 江戸時代、1673年大聖寺(上京区毘沙門町)は焼失している。
 1675年、この地にあった聖護院が焼失し、現在地(左京区聖護院)に移転している。
 1697年(1696年とも)、大聖寺は旧地・岡松殿跡だった聖護院跡地の現在地(上京区御所八幡町)に移転した。
 天厳永皎(1733〜1808)住持の時、「御寺御所(おてらのごしょ)」の称号を贈られる。
 1825年、第119代光格天皇皇女普明浄院宮入寺の際に、宮御殿が建てられる。普明浄院宮を最後として、24代の内親王が
住持を務めた。
 1854年頃、宮寺として慈雲院、摂取院、抱寺として大歓喜寺、蓮花清浄寺があった。
 近代以後、内裏上掾iじょうろう)(宮中に仕えた高位女官)を務めた華族(近代の貴族)の息女が住持に就いた。
 1944年、東京の青山御所より現在の本堂が移築された。


1月19日夜20時過ぎ家を出ると、15日に降った雪がまだ残ってました。 空には月が煌々と照ってました。
20時14分バス停に着くと21分にバスが来ました。
35分大宮駅東口に着くと高速バス乗り場のある西口に出ました。
ここにも雪がまだ残っていました。  21時22分京都行きの高速バスが来ました。
20日零時 休憩地の談合坂に着きました。 笹子トンネルは対面交通で通行可能となりました。
駐車している車は少なかったです。 高速バスは京都・大阪・神戸まで行きます。
6時草津サービスエリアに着きました。 この食券を買うと注文した食事ができあがると呼ぶんですね。
6時53分 約30分遅れで京都駅烏丸に着きました。
地下鉄烏丸線で四条駅に向かいました。
四条通りを歩いて予約したホテルに向かいました。
ホテルに荷物を預けて朝食を摂ってから地下鉄に戻りました。
四条駅から烏丸線に乗り、今出川駅で降りました。
                        2番出口を上がると大聖寺の山門でした。          大聖寺庭園   ↑
神佛霊場巡拝 ご朱印所                煎茶道 永皎流   華道 岳松御流        大聖寺門跡



門跡とは
 室町時代の第104代後柏原天皇皇女が入寺し、以後第一皇女が入ることが多くなりました。
第106代正親町天皇皇女の入寺以来、尼門跡第一位の綸旨を贈られました。
尼門跡筆頭(第二位・宝鏡寺、第三位・曇華院)となり、以後門跡は、江戸時代末期の
第119代光格天皇皇女まで24代の内親王が入寺しました。
 近代以降は、旧華族の息女が引き継いでいます。



尼門跡寺院
皇室や公家の女性たちが入寺した尼門跡寺院は、7、8世紀に始まりました。
14、15世紀に最盛期になり、30数寺が存在しました。
江戸時代、1871年までは比丘尼御所と呼ばれていました。
その後、衰微し、現在は京都に大聖寺も含め10寺、奈良に3寺が残るとされています。
7歳から16歳までに寺に入り、修行、宗教儀式、祭事、作法、御所言葉、和歌、絵巻などの文学も嗜み、後世に伝えてきました。

山門を入り真っ直ぐ進むと、花の御所の石が眼につきました。



室町第とは、足利将軍家の邸宅をいいます。室町殿(将軍)、室町第(居所)、
花の御所とも呼ばれていました。
ところが、応仁・文明の乱(1467〜1477)で焼失してしまいました。
なお、室町時代という時代区分もここから生まれました。

現在の御所八幡町、岡崎町付近にあり、北は上立売通、南は今出川通、
東は烏丸通、西は室町通に囲まれた一帯だったとみられています。

三代将軍義満の時に最盛期(1378〜1397)を迎え、第六代義教、第八代義政の時も一応は機能していました。
その後荒廃し、第十一代義晴により再建されたものの縮小されたものとなりました。
花の御所は、室町頭北小路(現在の同志社今出川キャンパス東方一帯)にありました。


27世花山院慈薫尼 歌碑
   
   九品佛
慈悲の眼乃変わらねば
  
  いつれの御手に
     吾はすからむ


近現代の尼僧 花山院慈薫(かさのいんじくん 1910〜2006)
公爵・花山院親家の娘、千鶴子として東京に生まれた。
5歳で大聖寺に入る。
相国寺・橋本獨山を戒師として13歳で剃髪。
宝鏡寺27世、大聖寺27世。

ここに来て御朱印がいただけそうです。 というのも非公開なので拝観はできません。
ベルを押して玄関に入ると、尼さんが出てきて御朱印をお願いしました。
         本堂や庭園を見たかったです。非公開ではやむを得ませんね。        華道 岳松御流 
御朱印をいただいて山門から出て相国寺に向かいました。