第七期 平成廿五年一月廿日〜一月廿三日
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京都 楽土の道 第99番
萬年山 相国承天禅寺  
まんねんざん          しょうこくじょうてんぜんじ

臨済宗相国寺派大本山

京都五山

御本尊 釈迦如来


相国寺山外塔頭 

万年山 真如寺

北山 鹿苑寺(金閣寺)

東山 慈照寺(銀閣寺)
御朱印
                      縁起

 永徳2年(1382年)、室町幕府3代将軍・足利義満は、花の御所の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願。
竣工したのは10年後の明徳3年(1392年)であった。

 義満は、禅の師であった春屋妙葩に開山となることを要請したが、妙葩はこれを固辞。
妙葩の師夢窓疎石を開山とするなら、自分は喜んで2世住職になると返したため、疎石が開山となった。
尤も、二世住職・妙葩も相国寺伽藍の完成を見ずに嘉慶2年(1388年)に没している。

 相国寺は京都最大の禅宗寺院の一つとして、また五山文学の中心地として栄えたが、たびたび火災に見舞われた。
伽藍完成から2年後の応永元年(1394年)に全焼。

 義満による七重大塔も数年で焼失したが、七重大塔は全高(尖塔高)109.1m(360尺)を誇り、
史上最も高かった日本様式の仏塔である。
昭和4年(1929年)の依佐美送信所鉄塔(250m)竣工までのおよそ530年間、高さ歴代日本一の記録は破られなかった。
義満没後の応永32年(1425年)に再度全焼している。
 
 応仁元年(1467年)には相国寺が応仁の乱の細川方の陣地となったあおりで焼失。
天文20年(1551年)にも管領細川家と三好家の争いに巻き込まれて焼失。
ここまでで都合4回焼失している。
天正12年(1584年)、相国寺の中興の祖とされる西笑承兌が住職となり、復興を進めた。
現存する法堂はこの時期に建立されたものである。
その後も元和6年(1620年)に火災があり、天明8年(1788年)の「天明の大火」で法堂以外のほとんどの堂宇を焼失した。
現存の伽藍の大部分は19世紀はじめの文化年間の再建である。


上立売通りを入るとその向こうには相国寺の門らしきものが見えました。特別拝観は三月二十四日からでした。
境内に入って左側に瑞春院がありましたが、残念なことに小さい文字で都合により拝観は中止にしていますとのことでした。
昭和の名園 「雲泉庭」 室町時代夢窓系庭園の復元  水上文学名作の舞台「雁の寺」 
門から見えた瑞春院 拝観できないので境内の中の道を進みました。
左手に法堂が見えました。 経蔵
開運 毘沙門尊天   養源院
養源院 三門址    仏殿址
勅使門 方丈池 天界橋 総門
勅使門 向こうから和服姿の人たちがやってきて総門から出て行きましたが、初釜でしょうか。
↑         境内図              総門の外から見た勅使門
重要文化財 相國寺 法堂
法堂の鬼瓦
御本尊 釈迦如来座像  脇侍 阿難・迦葉 狩野永徳作 鳴き龍 南天
鐘楼 1844年再建。「洪音楼」「袴腰付鐘楼」ともいわれ、花崗岩の壇上に建つ。
和様と禅宗様(唐様)の折衷様。鐘は、江戸時代、1629年鋳造。
                      組物                        鐘楼の脇に宗旦稲荷社へ続く道がありました。
                          宗旦稲荷社                               宗旦稲荷社の由来   
お狐様に守られている宗旦稲荷社
鐘楼から奥の方へ歩きました。
突き当たりが庫裡で左側に方丈があります。
庫裡の右の石畳を先に進みました。 両側には手入れが行き届いた梅が蕾を膨らませていました。
立派な石灯籠の向こうには承天閣が見えてきました。
このような石畳はどこかで見たことがあるのですが・・・・・
庫裡の中に入ったのですが、今日は生憎日曜日なので御朱印はお休みでした。先頭にある御朱印は22日にいただきました。
方丈は修理工事の最中でした。
天響楼(てんきょうろう) 中国で創られた梵鐘で下部が外側に反っています。
平成22年1月中国の大相国寺から贈られてきました。
そして、平成23年8月1日落慶法要が営まれました。
浴室は3月から6月まで特別公開の予定です。浴室の通りを西に進みました。
禁門変長州藩殉難者墓所 長藩士戦亡霊塔 左から藤原定家の墓
真ん中が足利義政の墓、右が伊藤若冲の墓 お墓の裏に回ってみました。
藤原定家之墓 足利義政之墓 伊藤若冲之墓
大光明寺  京都十三佛第四番 普賢菩薩霊場
左の写真を見ると、時代劇の撮影現場に適している場所ですね。